NPO法人 漱石山房 ホームページ
       
最新情報 はじめに 夏目漱石について 漱石山房について 活動紹介 リンク メール
漱石山房について
概要
所在地
漱石公園内の構造物
改修後の漱石公園
漱石山房年譜
参考文献

■ 漱石山房の由来

馬場下の実家に程近い住宅地の一角、旧牛込区早稲田南町七番地にある。
漱石が教職を辞して東京朝日新聞社に専属作家として入社した明治40年。その年の9月から没するまでの10年間を過ごした旧居で、「漱石山房」と称された。
移り住んだ当時は、周辺が不衛生であったという理由でこの地に永住する気持ちはあまり無く、漱石は生涯、家賃35円の借家住まいだったという。
漱石の死後、遺族は朝日新聞社からの退職金の一部で家を買い取り、大正7年、長女の結婚とあいまって、木曜会の会合に使用していた客間と書斎を母屋と分離させる改修工事を行った。これは当初、この二部屋を記念館として保存させようと考えたのだと伝えられている。
その後、関東大震災では大きな損傷を受けなかったものの、昭和20年5月25日東京大空襲により早稲田一帯と共に焼失。戦後、土地は都が譲り受けた。のち新宿区に移管され、現在は敷地の一部が区営住宅と区立漱石公園となっている。
ちなみに、漱石山房で執筆された作品は数多く、代表作としては『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『こゝろ』『明暗』などがある。その後の日本文学界に大きな影響を与えた漱石門弟(漱石山脈)による「木曜会」のサロンとしても利用された。

山房模型

上記は、新宿歴史博物館で展示されている漱石山房の復元模型を紹介した写真です。

Copyright 2007-2008 sousekisanbou All rights reserved